日本でも海外のスタートアップの記事を目にすることも多いですが、日本では情報が少ないブラジルの起業家の様子を探るべく、ブラジルベンチャーキャピタルが独占インタビューでブラジルの起業家に迫ります。
ブラジルのスタートアップ最大の成功事例と言われるBuscapé(ブスカペ)の創業者、Romero Rodrigues(ホメロ・ホドリゲス)氏へのロングインタビュー、part 4です。
1年以内の黒字化できなければ解散!
役員会で「まだ資金があるうちに会社を清算すべきだ」と迫られたホメロ達は、解散しないための条件を提示させられることになった。
ここまでのブスカペはまだ赤字は続いていたものの、当初計画に沿って成長を重視した投資モードにいた。しかし、この投資家からの要求に対するために会社の黒字化を2002年末までに黒字化すると約束することになった。
これは当初計画での黒字化予定を1年間前倒ししたもので、もし約束が守れなかった場合、ブスカペを清算する厳しいものだった。
急いで収益性を上げなくてはならなくなったホメロ達は役員や員の給与カットを含む経費削減を断行した。次に、ブスカペが開発した検索技術をライセンス化してアウトソースという形で大手ポータル会社等に提供し始めた。また、ブスカペ本体ではクリックベースでの有料課金を始めることになる。
ライセンス契約は順調に進み、ブスカペは、ヤフーショッピング、UOLショッピング、MSNショッピング、ロージャス・アメリカーナス(ブラジル最大手小売チェーン)やマガジン・ルイーザ(ブラジル最大手家電量販店のオンラインショップ)などの大手ECサイトの検索システムにブスカペの検索機能を提供することになる。
当時のネットショップでの検索機能を思い出すとわかるだろう。「当時は、『TV』と入れても検索できず、『テレビ』と入れなければ検索できませんでした。我々が行ったのは、消費者がこれらのポータルで商品を検索したときに、欲しい情報に正確にヒットさせることでした。」
「インターネットでポータルサイトやオンライン通販サイトを探しては、サイトや検索技術の向上のお手伝いをしますよ、とコールドコールでライセンス契約の営業をする日々が始まりました。ブラデスコ銀行やMSNを訪ねて、『貴社のショッピングサイトは、検索機能が不十分ですね。ブスカペは価格比較サイトに過ぎないと思われるかもしれませんが、貴社のサイトの質向上に十分貢献できますよ。』と言って回りました。」とホメロは言う。
そして、ブスカペはこれら業者との契約の際には以下の3点を盛り込んだ。
「第一に、クライアントサイトに合わせた徹底したカスタマイズ。例えば、MSNのユーザーからは、MSNのネットショッピングサイトと見せながらも販売プロセスを対応するのはブスカペといった感じでした。
第二に、サイトのメンテナンス、例えばクリスマスの時期にサイトに雪が舞うようなデザインを載せるなどでサイトの新鮮さを維持できるように工夫しました。
第三には契約内容をライセンス料としたことで、共通したソリューションを複数のサイトに提供しました。このことで検索機能自体は我々がコントロールできるようにしたのです。」
黒字化の達成とスケーラブルな収益形態の追求
ライセンス契約の営業活動は非常に好調で、役員会で約束した通り2002年には150万レアル(当時のレートで約7000万円弱)の収益を計上し、黒字化に成功することができた。
順調に推移したライセンス契約だが、ホメロはライセンス事業を伸ばそうとは思っていなかった。当時の「クリック」による収益は10%に過ぎなかったが、この「クリック」こそが会社の主な収益源になると見込んでいた。
ホメロは過去のソフトウェアの受託事業などの経験から、ライセンス事業では本当の意味でスケールしないとみていた。あくまでライセンス事業は、ブスカペにとっては当面の黒字化の手段であった。また、他のポータルサイトがブスカペと同様の技術を開発することを防ぐための戦略的手段にもなっていった。
しかり、当時のブラジルの小売業者は、クリックにお金を払うという意識が全くなく、クリック当たりの契約をするのは非常に難しかったため、ブスカペの掲載費用は月額固定料金になっていた。
その後、月次の報告書の中でクリック数と一クリックあたりの費用がいくらかを換算して明示しはじめた。
月額使用料が100レアルで、1000クリックの場合はワンクリック0.1レアル。500クリックの場合は0.2レアル、という具合である。
この月次レポートの改善で掲載企業側が、月によってワンクリックが割高になることに疑問を頂き始め、徐々に月額使用料からクリックベースで課金するシステムへと契約変更を進めていくことができた。
実質的にブラジルで「クリック課金文化」を根付かせたのはブスカペだった。グーグルがブラジルに参入した際に、スピーチの中で、クリック課金のコンセプトを説明する際に『ブスカペが行っているように』と言わせるほどブスカペがクリック課金の代表的な存在になっていった。
一方で、これまで無料掲載を許容していた小売店からも使用料を徴収しなければ掲載を中止する方針を決定した。ホメロが「すでに多くの消費者がブスカペを利用していたために、削除された企業は瞬く間に削除された事実に気が付きましたね。」と言うほどにサイトの規模も大きく成長していった。
今となっては笑い話だが、ブスカペ立上げ当初、勝手に価格情報をブスカペに掲載されたことに腹を立て、ブスカペを提訴する、と連絡してきた小売企業があったが、その後、ブスカペが大きくなった際に自社の販売実績が下がったことをブスカペの責任として提訴をほのめかすほどブスカペは小売業者の集客に貢献する存在になった。
ホメロの見込みは的中し、10%に過ぎなかったクリック課金からの売上が翌年にはライセンス料金を上回り、2年後には全体の90%を占めるようになった。一方で当初のライセンス収益があったことで財務状況が安定し、クリック課金のシステム開発に集中して取り組むことができた。
結果的にブスカペは2003年も成長を続けることができ、前年比で3倍も成長したほか、EBITで40%増という高い利益率を達成する。更に2004年も前年比で3倍の成長を続けた。
「ライバル企業の多くが倒産や撤退していたため、市場に殆どライバル企業が存在しなかったことも、我々の収益を上げることにつながりました。」
こうして成長の大きな柱を確保したので、ブスカペは次の収益改善の戦略実行に移った。2004年、ブスカペは、これまでライセンス提供していた大手サイトのトラフィックをブスカペの自社サイトに取り込むべく構造の転換を図った。
これまで収益源であったライセンス提供を止め、ブスカペ側から大手掲載店舗30万レアルを支払う方法に変更することにした。
これにより、ブスカペは、サイトに掲載するネットショップを選べるようになった他、統一したシステムで一元管理をして、サイトの開発に集中することができるようになっていった。
この方針変更で短期的にブスカペの収益は減少したが、Microsoft, Uol, IG等に代表されるブランドがブスカペのサイトへの掲載を続けてそのトラフィックを取り込むことができたため収益はその後さらに大きく成長した。「また、こうして、ブスカペの他にネット通販の開発をする競合はほとんどいなくなりました。」とホメロは言う。
ライセンス供与→クリック課金→大手サイトの取り込みという三段階でブスカペが実現したのは小売業界から消費者への主導権の転換だとホメロは言う。
ライセンス供与でネット通販というものを各サイトのトラフィックを通じて広め、クリック課金によって小売業者が質の高いクリックを得られるようにサイトの情報を整理し、最終的には消費者がより強い権限で購入先を決定できるようになったのである。
Romero Rodrigues – ホメロ・ホドリゲス:
ホメロ・ホドリゲス氏はサンパウロ生まれのブラジル人企業家。小さいころから探求心が旺盛で、機械工学部卒の父を模範に育つ。最初の事業はティーンネージャーの頃に始めたパンフレットの印刷事業。大学生の時に、情報科学とプログラミングに熱中し、起業を決意する。在学中にブラジルのインターネット業界で最も大きな成功事例となるブスカペを設立し、2015年まで同社のCEOを務める。現在39歳になる彼はブラジルのベンチャーキャピタルのレッドポイント社の共同経営者である。
Buscapé – ブスカペ:
ブスカペはブラジル初の価格比較サイトとして、1998年にホメロ・ホドリゲス、ホナルド・タカハシ、ホドリゴ・ボルジェスによって設立された。(後に、マリオ・ラテリエも参画)今日、同社はブラジルの他、米国、アルゼンチン、コロンビア、チリ、スペイン、メキシコ、その他ラテンアメリカの15か国において事業を展開している。サイトの月間アクセス数は3000万、設立時に30点であった取り扱い商品は今日では1100万点を超え、価格比較の他に、電子商取引、ポイントサービス、消費者へのクーポンサービス、ペイメントサービス等を提供している。2009年には、南アフリカのNaspersグループに対し3.4億ドルで株式の91%を売却した、ブラジルのベンチャー企業最大の成功事例である。