Ciatech創業者マルセロ・サトウ インタビューPart 3: Ciatech売却と新たなキャリア

CiaTech創業者マルセロ・サトウ

ブラジル・ベンチャー・キャピタルの起業家インタビューシリーズ。 企業向けのエデュテックで大きく成長したCiatechをブラジルのデジタルビジネス大手UOLに売却したマルセロ・サトウ氏のインタビューの最終章です。自分で長い年月をかけて育ててきた事業を離れる難しさとその後のキャリアについて語ります。   社内体制の強化の必要性 わが社に関心を寄せる海外投資ファンドが現れたことで、会社の大きな弱点が明らかになってきました。それは、これまで深く考えたことのなかったマネージメントやガバナンスといった点でした。これまで、外部株主がいなかったために、独立的に会社を運営することができていたのは非常に良かったのですが、そのままでは企業が成長するにつれて、十分な体制とは言えなくなってきました。 海外の投資ファンドは将来の事業計画を求めてきましたが、社内には日々の支払と請求を行う経理的な機能しかなく、会社の将来を計画を立てて考えるということを全くしてきませんでした。結局、この弱点によって、会社のバリュエーションが本来あるべき企業価値よりも20%から30%も低く見積もられてしまいました。 当時、私は会社のIT部門を、アレックスは営業面を担当していましたが、これらの弱点を克服すべく、2011年の人事異動で私の部下だったIT部門の部長を私のポジションに昇格させ、私がファイナンスの担当役員となることにしました。同時に、ある程度の規模がある企業に相応な社内システムを導入しました。 こうした経営企画面での強化によってCiatechは予想以上の成長を遂げることができました。当時数億円だった売上規模を3年間で倍増させることができたのです。 それまでは事業計画など考えずにやってきたのですが、将来を見据えることで必要な投資などの施策を早い段階で打つことで企業の持つポテンシャルを最大限発揮させられること重要さを肌で感じました。   新たなパートナーの参画 2011年から2013年、会社は更なる飛躍を遂げました。私が財務担当役員として社内体制を整えたことに加えて外部から株主が新たに参加したのです。 アレックスはブラジルの起業家コミュニティのイベントなどに頻繁に通っていましたが、Endeavorが催したイベントでアステラ・インベストメントというファンドのトップであるエジソン・ヒゴナッチと知り合いました。エジソンはメンターとなり、私たちになかった視点で様々なアドバイスをくれました。 その後、エジソン率いるアステラが2012年に出資し、株主として一緒に会社を成長させていくパートナーとなります。このパートナリングによってCiatechはまた一段高いステージにレベルアップすることができました。 Ciatechそ創業した当時は自分達から投資家を探すということはしていませんでしたし、その必要もありませんでした。また、当時のブラジルのスタートアップに対する投資環境も未熟なものでした。 しかしブラジルのスタートアップへの投資環境は大きな変化を遂げており、成長のための資金調達がしやすい環境が整いつつありました。エジソンが投資家として十分な経験があったことで、ファンドとのやり取りもスムーズに行うことができるようになりました。 私たちは事業計画を収益源ごとの実績に基づいてファイナンシャルにも、オペレーショナルにも立てることができるようになり、「もし1000万レアルあったら何に投資するか」といった質問にも答えられるようになりました。エジソンが入る前はとてもそんな質問に答えるスキルも準備もありませんでした。 こういった質問に答えることは自分たちにとっても重要なものでした。これまで自社のオーガニックな成長のみを考えてきたのですが、投資を受けることでその成長を加速させることを考えられるようになったからです。投資家たちが好んで使う「指数曲線的な成長」という観点と投資を結び付けて話せるようになりました。 Ciatechは創業当初から大手のクライアントのプロジェクトを受けることができたこともあり、それまで自社の利益だけで成長を続けてきました。そして、私たちの目的も大金を手にすることではなかったので、こうした投資家と話をしたものの、1レアルも必要ではありませんでした。 その後、ブラジルのオンラインビジネスのコングロマリットであるUOLが私たちにアプローチしてきました。Ciatechは資金を必要とはしていませんでしたが、UOLは教育部門のホールディングカンパニーを立上げ、インターネットの教育事業のリーダーになるという大きな戦略を打ち出しており、そのために傘下に置く事業とともに教育事業全体をリードする経営陣を探していたのです。 こうしてUOLとの話を定期的に行う2012年の年末頃、別のベンチャーキャピタルからの出資の話も並行して進みつつありました。私もアレックスもCiatechを売却するということに抵抗があったのです。しかし一方では、今後事業を違うレベルで拡大できるようなパートナーを必要としていることも理解しつつありました。 この時点でCiatechは企業向けのオンライン研修市場の大手プレイヤーの1社となっていました。創業から16年間、アステラの投資を受けるまですべて自分たちの資金で成長してきました。しかし同時にこのままどこまで成長するのか、本当に自分たちだけで頂点に立てるのかという懸念もありました。 私もアレックスも大学の卒業前から心血を注いできたCiatechを売ることには当然抵抗がありました。私たちの卒業制作でもあり、私たちの最初の子供でもあり、会社自体を愛していました。Ciatechで10年以上をともにした仲間である家族のようなエンジニアが何人もいるわけですから。事業をはじめた時とは真逆で、非常に難しい決断を迫られていると感じていました。 しかし、こうした要素をすべて考えた上で、ここまでの長い道のりを振り返りつつ、目の前にあるオポチュニティを考えた時に、今後の事業をより安心して進められる、リスクを最小化する決断をしました。 最終的には大きな買収金額のオファーを受けたことに加えて、UOLとともにブラジルのインターネット教育事業のリーダーとなるという可能性も含めて、UOL... Read More

Ciatech創業者マルセロ・サトウ インタビューPart 2: 急成長の先に何があるのか?

CiaTech創業者マルセロ・サトウ

ブラジル・ベンチャー・キャピタルの起業家インタビューシリーズ。 企業向けのエデュテックで大きく成長し、ブラジルのデジタルビジネス大手、UOLに高いバリュエーションで売却を果たしたCiatechの創業者、マルセロ・サトウ氏のインタビュー第二弾です。 ピヴォットを繰り返しながらようやくやりたかった事業領域で成長軌道に乗り始めたところで経営陣内でのビジョンの違いという問題に突き当ります。   Ciatechの成長 2000年と2001年はCiatechにとって大きく飛躍する年になりました。金融機関向けに様々な製品を供給するようになったのです。当時銀行が欲しがっていたのはカタログでも研修用のコンテンツでもなく、インターネットバンクのインストール用CD-ROMでした。ブラジルでもインターネットバンキングを普及させることで顧客が店頭にいく必要性を減らし、銀行のコスト削減につなげたいという流れが加速しつつありました。 さらに、当時は多くの人がインターネットに不馴れであったため、このCD-ROMにインターネットバンクの設定から利用までの手順をインタラクティブに説明する機能もつけました。このインストラクション機能付きCD-ROM商品は最初ウニバンコ銀行で採用されて成功を収めると、イタウ銀行、ブラデスコ銀行等々、続々と他の銀行からも引き合いがきて、Ciatechのヒット商品になりました。 ただ、当時のCiatechはインターネット企業ではなく、開発はすべてオフラインでしたし、製品もオフラインであることをベースに作られたものしかありませんでした。私たちはオフラインベースの商品からオンラインベースの商品へシフトチェンジをする必要性を感じ始めました。 しかし、問題だったのはクライアント側とは温度差でした。当時はまだインターネットのようなオープンなネットワークには懐疑的な見方もあって、イントラネットのような閉じたネットワークでのサービスを求められていたため、当面はイントラネット分野の開発を進めることにしました。そしてこの流れが、将来的にはオープンなオンラインサービスの開発につながることになります。 わが社の最初の成長時期がサンパウロ市内に越した後の2000年以降とすると、第二の成長時期はオンラインサービス事業に参入した2000年から2006年の頃と言えるでしょう。クライアント企業も徐々にオープンなインターネットへ様々なことを移行する時期がやってきます。 この頃、ナイキや大手タイヤメーカーのPirelliやContinental... Read More