日本でも海外のスタートアップの記事を目にすることも多いですが、アメリカ、特にシリコンバレーのスタートアップについてのものが中心です。
日本から遠く離れたブラジルでも起業がキャリアの選択肢になりつつあります。日本では情報が少ないブラジルの起業家の様子を探るべく、ブラジルベンチャーキャピタルが独占インタビューでブラジルの起業家に迫ります。
第一回はブラジルのスタートアップ最大の成功事例と言われるBuscapé(ブスカペ)の創業者、Romero Rodrigues(ホメロ・ホドリゲス)氏です。
Romero Rodrigues – ホメロ・ホドリゲス:
ホメロ・ホドリゲス氏はサンパウロ生まれのブラジル人企業家。小さいころから探求心が旺盛で、機械工学部卒の父を模範に育つ。最初の事業はティーンネージャーの頃に始めたパンフレットの印刷事業。大学生の時に、情報科学とプログラミングに熱中し、起業を決意する。在学中にブラジルのインターネット業界で最も大きな成功事例となるブスカペを設立し、2015年まで同社のCEOを務める。現在39歳になる彼はブラジルのベンチャーキャピタルのレッドポイント社の共同経営者である。
Buscapé – ブスカペ:
ブスカペはブラジル初の価格比較サイトとして、1998年にホメロ・ホドリゲス、ホナルド・タカハシ、ホドリゴ・ボルジェスによって設立された。(後に、マリオ・ラテリエも参画)今日、同社はブラジルの他、米国、アルゼンチン、コロンビア、チリ、スペイン、メキシコ、その他ラテンアメリカの15か国において事業を展開している。サイトの月間アクセス数は3000万、設立時に30点であった取り扱い商品は今日では1100万点を超え、価格比較の他に、電子商取引、ポイントサービス、消費者へのクーポンサービス、ペイメントサービス等を提供している。2009年には、南アフリカのNaspersグループに対し3.4億ドルで株式の91%を売却した、ブラジルのベンチャー企業最大の成功事例である。
生まれながらの企業家
ホメロ・ホドリゲスは、7歳の頃、当時失業中だった父親が事業を立ち上げようとしていたのをよく覚えている。1990年代にブラジル経済は安定し始めるが、それ以前は20年以上続いた軍事政権時代から続く低成長と高インフレで経済は低迷しており、特に80年代はブラジル経済の「失われた10年」と呼ばれる不況期だった。
当時、新たな事業を立ち上げようとするものなど殆どいない中、ホメロの父は、建設業が活気を取り戻すことを見通し、義父とともにサンパウロ市ピニェイロス地区で建設資材の店を始めた。そして、父親の読み通り経済回復の波にのり、店は見事に成功した。ホメロにとって、父の成功は、自分の教育費を賄ってくれただけでなく、その後彼自身が成功を収める上で決定的な要素である「タイミング」の大切さを教えてくれた出来事だった。
「土曜日に父親と働くことは、週末の楽しみでした。」とホメロは語る。「毎日父と会社のそばにいました。14歳の時、父が母と数日間出かけた際、1週間支払いの管理を任されたこともあります。起業したいという思いはいつも持ち続けていました。」
ホメロは8年生(中学2年生程度)の時、初めてパソコンに出会う。当時、サンパウロ市南部、モルンビ地区のドイツ系の学校で課外活動としてコンピューターの授業を受けていた。「授業では、当時最新モデルだったPCXTを使っていました。」と回想する。最初、授業ではマイクロソフト・オフィスより前の、マイクロソフト・ワークスを使っていたが「単に書くだけのツールだったのでワークスは大嫌いでした。パソコンでもっと面白いことができると期待していたので。」
しかし、次の学期でGW-BASICを使うようになってから、ホメロはパソコンに「はまる」ことになる。コンピューターが与えられた指示を正しく理解できることに驚いた。「BASICは自分の人生に大きな影響を与えました。それからというもの、授業の合間も休まず、パソコンオタクの友達とひたすらパソコンに没頭するようになりました。」
小さいころから起業したかったホメロは、起業資金をいかに集めるかを常に考えていたが「情報科学の分野であれば高額な初期投資は不要で、基本的には人的資本があれば起業できる」ことに気づいた。
高校生になって、ホメロは友人のヴィトルとデジタルパブリッシングの事業を始める。会社は二人の名の頭文字をとって、RV電子編集社と名付けた。「Page makerやCorel drawを使ってパンフレットを作成し、親戚や近所の住民に売っていました。」その後、印刷機の修理ために、それまでの収益の10倍以上かかることになり、事業を継続しなかったが、ホメロは起業について大事なことをいくつもこの最初の事業から学んだ。
事業アイディアのブレーンストーミング
大学での専攻は電気工学とコンピューター科学との間で悩んだ末、父親も通った、サンパウロ大学の理工学部で電気工学に決めた。
1996年に大学へ入学すると、早速、大学の友人ホナウド・タカハシと零細企業向けのソフトウェア開発会社FocusSoftを立ち上げる。業務管理システムを必要としていた知人に、ホメロがほぼ無償でソフトウェアを開発したことをきっかけに、他社のソフトウェアでは対応できないような、特殊なニーズがある中小企業をクライアントにソフトウェア開発を受託していた。「当時は一の位までしか入力できないソフトがほとんどで、小数第一位未満が必要なサイズや重量の入力等、対応できないことがたくさんありました。」
ソフトウェアの受託開発をしながら、ブラジルのソフトウェア開発企業Microsiga(現在のTotvs社)を例に、業務用ソフトウェアの分野を研究した。「ソフトウェア開発にはクライアント企業のビジネスモデルをしっかり理解する必要がありましたが、これは後にブスカペでとても役立ちました。いかに販売し、契約を結び、そしてソフトウェアを開発すべきか、じっくり勉強できました。」
ホメロとホナウドは一本のソフトウェア開発に3、4か月費やし、開発したソフトウェアを一本約4000レアルで販売していた。二人は国家科学技術開発審議会(CNPq)に所属する研究者でもあり、当時の月収が300レアルほどだったことを考えると大きな追加収入だった。
この事業は3年続き、その間6つのソフトウェアを開発した。利益を上げられてはいたが、開発されたソフトの汎用性が低く、他のクライアントへの転売が不可能であったため、成長性が限定的なことが課題となり、大きな事業には成長しなかった。
この間、ホメロはFocusSoftの運営に並行して、大学に通いつつ、ホドリゴ・ボルジェス(ブスカペの共同創業者)とともにサンパウロ大学計算機アーキテクチャ研究所(LARC-USP)でインターンとして働いていた。多忙な日々を送る中で、ホメロは友人のホドリゴ・ボルジェス、ホナウド・タカハシと週一回、ブレーンストーミングを行い、新たなビジネスのアイディアを模索していた。いくつものアイディアが浮かんでは消えていった。このブレーンストーミングの中で、初めてインターネットに触れ、価格比較サイト立ち上げに向け大きな一歩を踏み出すことになる。
真剣に事業の立ち上げを考えたもののひとつの例はオンラインでの宝くじ販売だった。いろいろと調査した結果、ブラジルではオンラインで宝くじ販売所を運営するための許可が取得できないと判断して断念する。
もう一つの例は、アメリカの会社から、Extern X10という技術を輸入し、リモートコントロールで家庭の照明を操作するような、今日のIoTと呼ばれる分野でホームオートメーションを手掛けるアイディアだった。アメリカの会社に対してブラジルでの代理店になりたいと打診もしていた。しかし、このアイディアは「ブラジルでは電流が安定的でないため、日本や米国などの電流が安定していることを前提とした技術を持ってきてもそのまま簡単には導入できないという結論に至った。」ため実現に至らなかった。「ただ、もし、そのアメリカの会社が私たちのメールに返信していたら、ブスカペを設立していなかったかもしれない。」というほど有力なアイディアでかなりの時間を試行錯誤に費やしていた。