日本でも海外のスタートアップの記事を目にすることも多いですが、日本では情報が少ないブラジルの起業家の様子を探るべく、ブラジルベンチャーキャピタルが独占インタビューでブラジルの起業家に迫ります。
ブラジルのスタートアップ最大の成功事例と言われるBuscapé(ブスカペ)の創業者、Romero Rodrigues(ホメロ・ホドリゲス)氏へのロングインタビュー、part 2です。
ブスカペの誕生
「立ち上げる事業を考えるべく、いろいろなアイディアについて議論する日々が続いていた中、ある日、僕とホドリゴが研究室で、プリンターを買おうとインターネットを見ていました。その時にアマゾンやHP社のサイトでプリンター自体を見つけることはできたのですが、価格を比較できるサイトがないことに気づいたのです。
世の中のいろいろな商品、特にその価格を、一つの画面で簡単に比較できたら便利だろうと思いました。インターネット上のバーチャルなショーウィンドウのように。」。ただあくまでまだ思い付きの段階。ここから、この思い付きを実現するまでの道のりは決して簡単なものではなかった。
「いくつものアイディアは話し合いの段階で消えていったし、生き残ったアイディアの多くもトライアルの段階で消えていった。」とホメロは言う。加えて、本来この事業の顧客としてお金を支払ってもらうつもりだった小売店たちにはそっぽを向かれた。
しかし逆説的に言うと、ブスカペはおそらく運がよかったのかもしれないともホメロは語った。
「トライアル段階での失敗が続いたにも拘わらず、私たちはあまりにこのアイディアに確信を持ってしまってのです。もし他に検討していたビジネスプランのようにここまでの思い入れがなければトライアル段階で中止していたでしょう。
小売り業界からの猛反発など、厳しい状況にありましたが、このビジネスを信じていたし、自分たちにそれを実現する能力があることを信じていました。
また、一定の規模のユーザーを得られれば、このビジネスが消費者から圧倒的な支持を得て、ゆくゆくは小売り業界のマインドを変えることになると確信していました。
大きなリスクではありましたが、結局最終的には何とか成功するところまで持っていけたのです。」
いくつかの小売店とちょっと話しただけで、小売店からの反発が大きいことは十分に感じ取れたが、彼らは、大学の授業の後、研究所にインターンに行き、夜はブスカペのためのプログラミングに追われる日々を続けた。
「私たちは、高い技術力があれば、良いプロダクトができ、良いプロダクトがあれば、結果的には目的を達成できると信じていました。
今日では、技術力がそれほど大きな障害とのなることは少なく、市場、消費者のニーズを読み取ることの方が、テクノロジーそのものよりも重要になってきていますがブスカペを立ち上げた当時は、それぞれの会社が独自のファイアウォールを立ち上げる必要があったりと、あらゆることを自前で行う必要があったのです。」
こんなサービスあり得ない!
ホメロは、事業の初期段階にマーケットのテストを行うような、通常のステップを踏まなかった。むしろ真逆のアプローチで、事前に利用者の声を聞くのではなく、まず先にプロダクトを作ることにした。
当時インターネット上に価格を公開することが一般的ではなかったため、ブスカペの最初の構想はインターネットで価格情報を集めるような今日のような姿ではなかった。
ブスカペのチームはDelphiで開発したソフトをフロッピーディスクで小売業者に配布し、小売業者がそのソフトを会社のパソコンにインストールして、価格情報を入力する。その後、小売業者がブスカペで公開したい価格情報を選択してブスカペ上に公開するという仕組みであった。
このサービスが利益を上げ始めるのは、ある程度サービスが普及しはじめてからと予想していたので、今後このサービスが小売業界にとって必要不可欠になった際に課金できると期待して、このソフトを無償としていた。
ブスカペは、このサービスがより多くの消費者をひき付けて、十分な規模が確保できれば、小売業者の方がお金を支払ってでもブスカペに情報提供したくなるに違いないと考えていた。所詮、小売店も人を呼ばないことには成り立たないのだから。
ソフトウェアが出来上がってすぐに、小売店に導入してもらうべく飛び込み営業を始めたが、小売店からの反発は予想外の大きなものだった。どのお店に行っても最初のリアクションは「こんなのあり得ない!価格という大事な情報をなんで教えないといけないのか!インターネットどころか電話でも教えないのに。」といったもので、門前払いをくらう日々が続いた。小売業者は、インターネット上に価格が掲載されることで、実店舗に訪れる顧客が減ることを恐れていた。
ブスカペの4人は、あまりのネガティブな反応に、その後数日間何をすべきかわからず、漠然と過ごしていた。
初期段階で小売店に対して話ながら進めることを一切せずに、ただひたすら自分たちの考えを信じてソフトウェア開発のみを行ってきてしまったので、プランBも用意していなかった。
ホメロは当時を振り返り、「小売店の反応を見て、ブスカペの事業は立ち上がらないのではないかと思いました。想定していたことが完全にうまくいかないことを思い知った感じでした。もし、我々が初めから小売業者と接点をもちつつ、ソフトウェアの開発を行っていたら、最初の拒否反応を見て、この事業に実現性はないとして断念していたかもしれません。」とコメントしている。
結果的に不幸中の幸いとなったのは、「市場の反応を見る前に、創業メンバーがブスカペのアイディアが絶対に行けると思って走り始めてしまい、プロダクトができてしまっていたことだと思います。」
すでに価格比較が簡単にできるサービス、という構想はできあがってしまっていたので、その構想を実現すべく、小売店から価格情報を収集するのではなく、とりあえずインターネット上にある情報を集めるというアプローチをとることにした。
大学の研究室のインターンで学んだ技術を生かして、インターネット上にある価格情報を自動的を集められるようなロボットを開発した。最初に集められた価格情報はコンピュータ関連のいくつかの小売店、スーパー1店舗、本屋1店舗など、非常に限られたものだったが、少しずつ地道な情報収集を続けつつ、サイトのビジュアルデザインを固めていった。1998年終わりから1999年頭にかけての当時大きな投資もできない中でのサービスローンチ準備が続いた。
1999年4月、ようやく30店舗ほどの価格情報が集まりはじめた頃、ホメロの友人が、彼らの構想通りの全く同じサイト「mysimon.com」が米国にあるのを見つけた。
このサイトの発見は「世界最初の価格比較サイトを立ち上げる」という彼らのロマンティックな野望は打ち砕かれたのだが、同時に、彼らにショックを与え、現実に向き合うきっかけを与えることとなる。当初の事業計画では、登録業者数が100社を数えたらサービスを開始する予定であったが、少なくともブラジルでの最初の価格比較サイトになるために、手元にある情報で急いでサイトを立ち上げなくてはならないと感じた。
着想から約一年後の1999年6月、当時インターネット上で収集可能な限り集められた35社の情報とともに、ブラジルで最初の価格比較サイトとしてブスカペが誕生した。
ブスカペのローンチを告知すべく、ホメロが自分でプレスリリースを書き、ありとあらゆるメディアに送った。幸い大手メディアの一社が取り上げてくれて、それを見た他社もブスカペのローンチを取り上げることになる。「今でいうスパムメールだけど、起業家には恥知らずなくらいできることはなんでもやらないといけない時があるよね。」とホメロは笑う。
2000年、経営学を修め、金融業界で働いていたマリオ・ラテリエがブスカペに正式参加し、経営体制を強化していくことになるが、その後インターン生としてプログラマーを1人採用するまでブスカペは4人という非常に小さなチームであった。
Romero Rodrigues – ホメロ・ホドリゲス:
ホメロ・ホドリゲス氏はサンパウロ生まれのブラジル人企業家。小さいころから探求心が旺盛で、機械工学部卒の父を模範に育つ。最初の事業はティーンネージャーの頃に始めたパンフレットの印刷事業。大学生の時に、情報科学とプログラミングに熱中し、起業を決意する。在学中にブラジルのインターネット業界で最も大きな成功事例となるブスカペを設立し、2015年まで同社のCEOを務める。現在39歳になる彼はブラジルのベンチャーキャピタルのレッドポイント社の共同経営者である。
Buscapé – ブスカペ:
ブスカペはブラジル初の価格比較サイトとして、1998年にホメロ・ホドリゲス、ホナルド・タカハシ、ホドリゴ・ボルジェスによって設立された。(後に、マリオ・ラテリエも参画)今日、同社はブラジルの他、米国、アルゼンチン、コロンビア、チリ、スペイン、メキシコ、その他ラテンアメリカの15か国において事業を展開している。サイトの月間アクセス数は3000万、設立時に30点であった取り扱い商品は今日では1100万点を超え、価格比較の他に、電子商取引、ポイントサービス、消費者へのクーポンサービス、ペイメントサービス等を提供している。2009年には、南アフリカのNaspersグループに対し3.4億ドルで株式の91%を売却した、ブラジルのベンチャー企業最大の成功事例である。